印西市は、千葉県北西部に位置し、豊かな自然と先進的な都市機能が調和する街として注目を集めている。千葉ニュータウンの開発により住宅地の整備や大型商業施設の誘致が進み、人口は昭和55年の約3万人から令和7年には約11万人へと増加した。発展の背景には、子育て支援策の充実、地盤の強固さ等に由来する災害リスクの低さなど、安心して暮らせる環境が整っていることが挙げられる。
藤代健吾氏は、2024年に新市長に就任した。「世界モデルのまちへ」というビジョンを掲げ、教育・子育て、健康・福祉、地域づくりなど、5つの柱を中心に、市民との対話を重視したまちづくりを進めている。 子ども時代から「官民」と「世界」を見つめ続けてきた藤代市長。いま、地元・印西で挑むまちづくりとは。そして、市民に加え、企業とも手を携えて未来を描こうとする印西市が求める共創パートナーとは。
Publink代表として官民の想いをつなぎ続ける栫井(かこい)が、藤代氏の想いや行動を言語化し、まだ見ぬ未来の共創パートナーへ届けるーー。
本記事は、そういった試みである。
「藤代さんと一緒に何かを起こしたい。」
未来の仲間たちへ、Publink Letterが想いをつなぐ。
(記事を読んだ後は、藤代氏への感想や共創の希望もお寄せいただけます)
藤代 健吾(ふじしろ けんご)
1984 年、印西市(旧印旛村)山田生まれ。印西市立瀬戸幼稚園、六合小学校、印旛中学校、千葉県立佐倉高校、早稲田大学 政治経済学部卒。国際協力銀行、ボストン・コンサルティング・グループ、青山社中 執行役員を経て、生まれ育った印西でまちづくり会社を創業。2024 年 7 月、印西市長就任(1 期目)
INDEX
印西で生まれ育ち、幼い頃から「公」に対する意識を自然と抱いていた藤代氏。政治や社会の仕組みに強い関心を持ち、やがて国際協力や政策の現場で経験を重ねていった。だが、強い使命感の裏で、あるとき気づいたのは「自分にとっての幸せとは何か」という問い。世界を見つめ、地元に立ち返った彼の原点と変化の軌跡をたどる。
栫井:
子供時代の経験は、その人の生き方や価値観に大きな影響を与えると言われます。藤代さんはどんな子供時代を過ごされたのでしょうか?
藤代(以下、敬称略):
私は印西生まれ・印西育ちで、田んぼと林に囲まれた環境の中で育ちました。「人様のために」が家訓の家で、曾祖父の時から村の議員、祖父も亡くなる前日まで議会に通い、父も役場を経た後、市議を務めていました。そうした家族の姿を見ていたからか、幼い頃から“公”というものに対する意識が強かったと思います。
思えば、少し変わった子どもだったかもしれません。一番古い記憶が、幼稚園の頃、NHKのガット・ウルグアイ・ラウンド交渉のニュースを見ていたことなんです。一企業や一個人ではなく、政治や経済など、社会の仕組みや制度そのものへの関心が強かったのを覚ています。その仕組みがあった上で、一人ひとりが活躍できる社会をいかに作っていくか。そんな問いを持ちながら、大学では政治哲学を専攻し、「理想的な政治のあり方」を考え続けました。
20歳でアメリカに留学した経験は、今でも大きな転機だったと思っています。当時はリーマンショックの前年。中国や韓国が製造業で存在感を増し、「ジャパンバッシング」から「ジャパンパッシング(日本の存在力の低下)」へと時代が移り変わっていました。そんな中で日本は世界の中の一国であり、経済によってここまで歩んできた国だということ。そして、その経済を支えてきたのは、まぎれもなく“民の力”であるという事実を強く感じました。
だからこそ僕は、「官と民をつなぐこと」「日本と世界をつなぐこと」を自分のミッションに据えるようになりました。国際協力銀行を選んだのもその思いからです。グローバル×官民×経済という三つの軸を、世界で戦う日本企業をサポートするというミッションのもとで満たせる場所だと思いました。
その後、香港での駐在や、転職しての外資コンサル、政策シンクタンクなど、多様な経験を積みました。ですが、コロナ禍に、東京で一人、マンションにこもって仕事をしている時に、ふと「自分にとっての幸せとは何か」に向き合う瞬間があったんです。地元・印西での暮らしが自分に一番あっているのではないかと気づき、印西に戻りました。
戻ってからまちづくりの会社を立ち上げました。当時在籍していたシンクタンクの仕事をしながら起業するというなかなかの無茶だったのですが、それを許容して、多くのことを学ばせてくださった、青山社中の朝比奈社長には本当に感謝しています。

栫井:
幅広く、貴重なご経験をされてこられたのですね。子供時代から社会に対する強い関心と高い視座をお持ちだったこと、それが今に繋がっていることが伝わってきました。 先ほど触れられた、「幸せ」というキーワードですが、藤代さんのお話を伺っていると、それが大きなテーマのひとつでいらっしゃるのかという印象があります。
藤代:
そうですね。私はもともと、「しなければならない」という想いがとても強かったんです。藤代家に生まれた以上、人様のために生きなければならない、官と民をつながなければならない──そんな使命感をずっと持っていました。
けれどもある時、「このままでは続かないな」と感じたんです。 特に、仕事で全国の自然豊かな地域を訪れる中で、サウナに入ったり、美しい風景をただ眺めているだけで、心から幸せを感じる自分に気づきました。そして、「使命感と自分の幸せ、この両方を大切にしなければならない」と強く思ったんです。
それ以来、私の思考も、変わっていきました。たとえば「相反するように見えるものをどう両立させるか」というテーマを常に考えるようになりました。 「ねばならない」という責任感と、「ありたい姿」「心地よいと感じること」を、どう統合していくかです。
同じように、周りの人にも「幸せになってほしい」という想いが強くなりました。 人とぶつかることがあったとき、ふと我に返って、「ああ、この人もただただ、幸せになりたいだけなんだな」と気づく瞬間があったんです。それ以来、できるだけ多くの人が幸せな方が、きっと世の中も良くなる──そんな風に考えるようになりました。
もう一つ、香港駐在も大きな原体験となりました。
当時は2014年の雨傘運動の後、少し落ち着いたタイミングではあったものの、まだ社会は不安定で、民主主義の危機が叫ばれていました。でもその中で香港の人たちは本当に楽しそうに生きていたんです。 週末になれば、山へ行き、海へ出て、自然を満喫する。
どこかで絶えず笑顔が溢れていて、穏やかで優しい人たちばかりでした。 電車では子どもに席を譲るのが当たり前で、ベビーカーを押していれば自然に手を貸してくれる。子どもに声をかけたり、笑いかけたり──街全体に、温かさが広がっていたんです。
その後、東京に戻ってきたら、みんな本当に辛そうなんですよ。満員の通勤電車の中で、「これって、何かがおかしいんじゃないか?」と強く思ったんです。それまでの私は、「日本と世界をつなぐ」「国際競争力を高める」といった目標を掲げていました。もちろん、それも大切なことです。 でもふと立ち止まって、「それは“手段”に過ぎないんじゃないか」と気づいたんです。 日本人自身がもっと幸せになっていい。その後のいろんな経験を通じて、それを痛感するようになりました。
海外では、多くの人がバリバリ働きながらも、悲壮感はない。 彼らはきっと、自分の人生に対する“オーナーシップ”を持っているんです。
まず「自分がどう幸せになるか」を軸に据え、そのうえで仕事にも打ち込み、プライベートも当然大切にする。日本人は、それがあまり得意じゃない人が多い気がするんです。
栫井:
改めて、自分にとっての「幸せ」とは何かを考え、自分の人生にオーナーシップを持つこと。 それが、幸せに生きるうえでとても大切なことだと感じました。 まちづくりにおいて、藤代さんが意識されていることがあれば、ぜひ教えていただけますか。
藤代:
「幸せ」とは、本来、人それぞれ違うものです。 行政に課された最優先の使命は、人々の生命と財産を守ること。 その土台の上に、自己実現や人とのつながり、自然との距離感、そしてウェルビーイングといった要素を、どう街の中に積み重ねていけるかが問われていると思います。
豊かな自然と都市機能が共存する千葉県印西市。この地を「世界モデルのまち」として発信していく──それが藤代氏の描く未来だ。地域資源を最大限に活かし、教育・自然・グリーンインフラといった分野で先進的な取り組みを進める。そして、官と民、多様な主体の連携によって、多層的なまちづくりを実現する。地元での挑戦に、グローバルで培った視座が今、結実しつつある。
栫井:
これから、この地でどのようなまちづくりを目指していきたいとお考えでしょうか。
藤代:
印西市に戻ってきて、自分がこれまで追いかけてきた“ミッション”は、地元でこそ完結するものなのではないかと直感しました。
というのも、たとえば、私が子どもの頃には、印西と成田空港の間には鉄道が通っていませんでした。ところが、社会人になる頃に新たな路線が開通し、印西は成田と直結する“世界の玄関口”へと生まれ変わっていました。「この場所が変われば、日本も変わるかもしれない」と思ったんです。
もちろん今のままの印西には、さまざまな課題もあります。過疎化が進む地域がある一方、ニュータウンでは人口急増に伴い、子どもたちの居場所が不足しています。
そのような状況下で、これまで積み重ねてきた経験を活かし、生まれ育った故郷に少しでも恩返しができれば、と思うようになりました。おこがましいかもしれませんが、今は僕のような、「外」と「内」を知る人材が必要とされていると思ったのです。
「世界と日本をつなぐ玄関口」という大きな強みを活かし、印西を「世界で一番イケてる町」にしたい。そんな想いで、市長選では「世界モデル」というキャッチフレーズを掲げました。
印西が一つのモデルとなり、その変化が日本、そして世界へと広がっていく。私は本気で、そんな未来をつくりたいと思っています。
栫井:
「世界モデル」、面白いですね! どのような想いや具体的なビジョンを込められているのでしょうか。ぜひ、詳しくお伺いしたいです。
藤代:
世界と戦うためには、他の街と同じことをしていては勝てません。「とんがること」、「何か抜きん出た特徴を持つこと」が大事だと考えています。そのためには、地域の特性をどう生かすかが鍵になります。
印西の良さを一言で表すなら、都市と自然が美しく調和していることだと思っています。

たとえば、成田空港から電車に乗ったとき、最初に広がるのは、印西の水田の風景です。かつて、この景色に感動した海外の方から、「ここでマラソン大会をやりたい」という声が上がりました。こうして生まれたのが、「国際交流エコ・スローマラソン印西」です。小さな大会ではありますが、既に15年ほど続いており、今年もシンガポールや香港など、海外から多くのランナーが参加してくれました。
この水田の風景を生かして、山形県の庄内平野にある「スイデンテラス」のような、印西のシンボルとなる施設をつくれたらと考えています。スイデンテラスは、水田と調和した美しい空間に、ホテルや子どもの遊び場、研究施設などを併設した多機能施設です。東京から何時間もかかる場所にもかかわらず、多くの人たちが訪れる人気スポットになっています。
印西でも、印西らしさを活かした施設をつくることができれば、きっと新たな魅力を発信できると思っています。そうした施設がひとつ生まれるだけで、世界から見た印象も大きく変わるはずです。特に海外から訪れる方にとっては、水田という日本の原風景とともに、印西が深く心に刻まれるのではないでしょうか。
また、実はそもそも、この「都市と自然の調和」というテーマは、千葉ニュータウンのコンセプトにも深く根付いています。千葉ニュータウンは、「究極の循環型社会」を目指して設計された街なんです。 現在は移転が予定されていますが、街の中心部にごみ処理施設があり、地下には「ごみトンネル」が整備されていました。ごみを焼却して生まれた熱を、市内の企業などへ供給するという熱循環システムが組まれていたんです。 ニュータウン内には今も豊かな自然が広がり、蛍が見られるような場所も数多く残っています。
いま、印西市では「グリーンインフラ」というキーワードも掲げています。 都市と自然、人と自然が調和した街を真に実現し、さまざまな分野でモデルケースになれる可能性を、印西市は十分に持っていると、僕は信じています。
栫井:
自然の豊かさ、美しさというのは本当に強みですよね。他にも理想とされていることはありますか。
藤代:
「教育」ですね。やはり、未来をつくる鍵があります。これからの社会を担っていくのは、間違いなく子どもたちです。だからこそ、彼らの「生きる力」をどう育んでいくかが重要です。
たとえば、印西市立原山小学校では、全国でも先進的なICT教育が行われています。 公立小学校として全国で唯一、ロボット競技の世界大会に2年連続で出場しました。2024年5月に出場したチームは、ロボットデザイン部門2位という輝かしい成績を収め、印西市長特別賞を贈呈しました。
市長特別賞表彰式を開催(令和6年12月24日) | 印西市ホームページ


今年のチームも、世界大会はこれからですが、日本大会でのプレゼンテーションを見させてもらいました。テーマは、「海に浮かぶゴミをどう解決するか」。 子どもたちは、作業中の船員の安全性向上を目指して、マイクとカメラ付きのフルフェイスマスク型ヘルメットを設計していました。そこからユーザーインタビューやフィードバックを重ね、ゴーグル型に改良。より軽くなったプロトタイプを制作して、持参してくれました。
小学生ながら、課題設定の段階から非常に高度です。自分たちと縁遠い社会課題にもきちんと向き合い、設計し、改善する。自らPDCAサイクルを重ねていく姿勢は、まさに探究学習の極みだと感じました。こうした未来への素晴らしい芽が、印西にはしっかりと育っています。
また、「自然」と「教育」の掛け合わせにも、大きな可能性を感じています。「デジタル教育」と「自然」が本当に調和しているまち――そんな場所は、世界を見渡してもまだ存在していません。だからこそ、この実現に挑むことが、「世界モデル」への道につながると考えています。
そして、自然や教育にとどまらず、地域の個性や人、少し先を行くグローバルなアイディアを、共通するコンセプトのもとに各分野で掛け合わせていく。一つひとつの領域で世界最先端の取り組みを進め、その集合体として、世界が注目するモデル都市をつくり上げていく――。
印西市には、その実現に必要な土台と可能性が、確かにあると感じています。
栫井:
素晴らしいですね! 国際的な視点から見ても、極めて大きな可能性を感じました。
藤代:
ありがとうございます。そしてもう一つ、大切なテーマが「官民をつなぐ」ということです。
最初は、“民”といえば企業だと考えていました。けれども、青山社中で全国の自治体と仕事をする中で、民とはもっと多様な存在だと実感するようになりました。 そして、まちづくりで最も大切なのは「人」であり、地域や社会は結局、人によってつくられていく――それを朝比奈代表から学びました。だからこそ、多様な人たちと一緒にまちをつくりたいと思うようになったし、やるならやっぱり、自分が生まれ育った印西で挑戦したいと思ったんです。
印西でまちづくり会社を立ち上げ、イベントを開催してみると、本当に面白い人たちがたくさん集まってくれました。会社員、起業家、フリーランス……年齢も性別も背景もさまざま。「この人たちとだったら、絶対に面白い街がつくれる」。そんな確信を持つことが出来ました。それはまさに、僕がずっと目指してきた「官と民をつなぐ」ということ、そのものです。自分がこの街のリーダーになることで、それが実現できるなら、これはもう“天命”なのではないか。心の底から、そう思ったんです。
世界に通用するまちづくりの鍵は、相反するように見える要素をどう融合させ、新たな価値に変換するかにある。藤代氏が掲げるのは、グローバルとローカル、普遍と地域性、ビジネスと公共といった要素を、「バランス」ではなく「統合」するという発想だ。地域資源と国際企業の共創や、多様なプレイヤーによるパブリック空間づくりなど、印西市で始まりつつある取り組みには、統合が生む革新のヒントが詰まっている。
栫井: 自然や教育という強みを活かしながら、世界モデル都市を作っていく。その中で、具体的にどのような工夫をされていらっしゃるのでしょうか。
藤代:
たくさんお話ししたいことはありますが、本日は、 ①統合・組み合わせ、 ②「変わり続ける」ことができる未来志向の市役所づくり、 ③体験の重要性、 この三つのテーマについてお話ししたいと思います。
まずは、「統合」と「組み合わせ」についてお話します。 最初に触れたいのは、グローバルな視点とローカルな視点の統合・融合についてです。 経済の面では、やはりグローバルな視点が不可欠です。一方で、地域に根ざす人々の個性を生かし、人間本来の「動物性」やリアルな感覚とのバランスを取ることも同じくらい重要だと感じています。近年よく耳にする「グローカル」という考え方。まさにそれが、これからの時代にますます大切になると、僕は思っています。一つのヒントになるのが、オーストラリアの物流会社「グッドマン」さんです。印西市内には、日本でも有数のビジネスパークがあります。グーグルやアマゾンをはじめとした世界のIT企業のデータセンター群で成り立つその中に、彼らは、「the Green」という地域振興のための複合施設をつくったんです。

そこには広場があり、フットサル場があり、その手前には商店街が並んでいます。パン屋さん、カフェ、お風呂、花屋さんなどが軒を連ね、さらには障害のある方々が制作した芸術作品も販売されています。広場では、週末ごとに地域の方々による無料イベントが開催されます。ビジネスパークと地域が自然につながっているんです。
ビジネスパーク自体は、ある意味で“グローバル資本の権化”のような存在です。本当にグローバルに振り切るなら、こうしたローカル施設は不要なはず。それでも、「地域とともに生きる」ことの重要性を彼らは強く認識し、実際に行動しているのです。
こうしたローカルとの統合が、今や世界における一つの勝ちパターンになりつつあります。 地域とともにあることで、場所の価値は高まり、地域の人たちからの評価も上がる。結果として、企業にとっては、たとえば採用力が向上し、従業員にとっては福利厚生の一環となり、パフォーマンスがより高まるという結果が出ています。
栫井:
グローバルとローカルという相反するように見える概念を、どう「バランスを取るか」ではなく、どう統合するか。そして更なる価値を生むかという視点が重要なんですね。
藤代:
その通りです。もう一つ、例をお話させてください。
パークPFI(公募設置管理制度:民間活力によって公共施設の整備・運営を促進する仕組み)も、印西市ではまだ導入されていません。これから、ぜひ取り組んでいきたいと考えています。その際に大切にしたいのが、「普遍的な価値」と「地域の得意分野・特性」を、どう統合し、掛け合わせるかという点です。たとえば、全体の座組みやコーディネーションは、全国規模で活躍するような大企業にお願いしつつ、テナントには地域の個人店が入っていく。そんな形も素晴らしいと思っています。
参考になる事例として、千葉公園の「YohaSの寺子屋」があります。ここでは、大企業がコンソーシアムの中心を担いながら、地場の企業も参加し、地域に根ざした取り組みが展開されています。地元の企業の皆さんが「せっかくなら、子どもたちの放課後の居場所をつくりたい」と発案し、学校だけでは学べない文化やアートを学べる寺子屋を運営しているんです。
普遍的に成功するもの、普遍的に人の心に響くもの、そういった要素は確かに存在します。それを「グローバル」と呼んでもよいかもしれません。そしてそれに、地域ならではの特殊性や魅力を掛け合わせることで、街の価値を本質的に高めていくことができると信じています。
栫井:
「掛け合わせ」「調和」「統合」という発想は、最初のご経歴から今に至るまで、すべてに共通して感じられますね。藤代さんの価値観のコアを形づくっている、そんなふうに感じます。藤代:
おっしゃる通りです。その方が、本当に「面白い」ものが生まれると僕は思っています。 以前、デザインを学んだときに、こんな教えを受けました。「クリエイティブで新しいものを生み出すヒントは、矛盾する概念を組み合わせて統合することにある」。その通りだと、強く共感しました。人が思いつかないようなものを生み出すには、普通なら一緒にならないようなもの同士を結びつける。それがとても大きな種になるんです。 実際にやってみると、いろいろな発見があって、やっぱり「面白い」世界が広がっていきます。
市役所の役割は「市民に寄り添うこと」──その本質は変えず、手段は柔軟に変化させる。藤代氏は、今の意思決定が100年後に意味を持つような「続いていく仕組み」と「人を育てる文化」の構築を目指す。自己犠牲ではなく、やりがいや楽しさが社会に波及していくような人材を増やしていくこと。それが未来への投資であり、持続可能なまちづくりの礎だと語る。
藤代:
次のテーマは、未来志向の市役所づくりです。 市役所の使命は、いつの時代も「市民に寄り添った最適なサービスを提供すること」です。その変わらない価値を実現するためには、手段ややり方は時代に合わせて進化させていかなければなりません。
かつては、各窓口で丁寧に対応することが最も大切でしたが、今はいかにオンラインで完結できる仕組みを整えるかが問われています。しかし、方法が変わっても、「市民のために」というマインドセットそのものは変わるべきではありません。僕が目指しているのは、時代に合わせて柔軟に変わり続ける仕組みと、変わらない想いを併せ持つ市役所です。そして、それを一過性のものではなく、「続いていく仕組み」として根付かせることが重要です。
まちづくりには長い時間がかかります。今の決断が、10年、20年、あるいは50年、100年先にまで影響を与え続けます。千葉ニュータウンの現在も、過去の都市設計の延長線上にあります。僕たちはいま、次の30年、50年、100年を “つくる” タイミングに、いま立っているのです。職員の皆さんとの議論でも、「これ、30年後どうなっている?」という視点を必ず持つようにしています。
たとえば新しい学校を建てる場合も、少子化を見据え、「15年で閉じる」という時限設定をあらかじめ設ける。今の課題にだけ対応してしまうと、将来バトンを受け取る人たちが困るからです。 だからこそ、未来への責任を見据えた意思決定が欠かせません。
もちろん、僕一人でできることには限界があります。 今いる職員の皆さんがこの想いを共有し、同じ方向を向きながら、街をつくり、育てていくことが不可欠です。たとえ市長が代わったとしても、形だけを守るのではなく、時代に応じて進化し続けられる市役所でありたい。それが、未来の世代に対して果たすべき責任だと思っています。
結局、社会をつくるのは「人」です。良いリーダーが生まれ続ける街にすることができれば、それが街の強さになります。社会を思いやりながら、自分自身の人生も大切にできる人――「自分が楽しく生きた結果、社会も良くなる」、そんな統合ができる人を増やしていくことが、未来への鍵だと思っています。
自己犠牲で社会に尽くすだけでは、続かないんですよね。けれども、自分のやりたいことを貫いて社会に悪影響を与えても意味がない。「自分の幸せ」と「社会の幸せ」を両立できる人材を育てることが、これからますます重要になっていきます。
栫井:
私も、やっぱり社会をつくるのは「人」だということにすごく共感しています。だからこそ、このような Publink Letter のようなサービスを始めました。 自己犠牲型じゃなくて、「自分も楽しい」「社会も良くなる」ことの両方を大事にできる人。そんな人が増えれば増えるほど、街も社会も、どんどん良くなっていくと思います。藤代:
僕自身、まちづくりの仕事が本当に楽しいんです。官民連携でエリアの風景を変え、街の価値を高めることに心からやりがいを感じています。「やりたいこと」と「社会のため」がきれいに統合できている、そんな天職に出会えていると感じています。 だから、この想いを共有できる仲間を増やしていきたい。人を育て、次の世代へとつないでいく。それが未来の印西を支える大きな力になると信じています。


理想のまちは、言葉だけでは生まれない。藤代氏が重視するのは、「ともに体感すること」だ。フィールドに出て、語り合い、手を動かし、関係性を育む中で、人ははじめてまちに関わる実感を得る。市民との勉強会、焼き芋を囲んで語り合った里山での体験、行政職員を民間へも派遣──ひとつひとつの「場」が、未来の印西を形づくる芽となっていく。
藤代:
最後に、「体感すること」の重要性についてです。 どれだけ理想を描いても、多くの人に理解し、共感してもらい、「一緒にその夢にかけてみよう」と思ってもらえなければ、前には進めません。言葉や文章だけでは伝わりきらないものもあります。そこで、体感してもらうことが大切だと考えています。
たとえば、市民の皆さんとの勉強会を積極的に開いています。 共通のテーマを設けてゲストスピーカーを招き、参加者同士が交流できる場をつくる。こうした場では、共通の関心や趣味を持つ人たちが自然とつながり、新しい動きが生まれます。最近では、歴史の勉強会から芸術祭を立ち上げようとするチームも生まれました。
先週末には「グリーンインフラ」をテーマにした会を開き、民間企業や隣接する白井市とも連携しようという話が自然と出てきました。さらに、単なる会議だけで終わらせず、実際にみんなで里山に出かけ、現地で国立環境研究所の副所長の案内のもと、現場を体感しました。 自然の中を歩き、焼き芋を食べながら車座で語り合う――そんな時間を共有することで、関係性が一気に深まり、方向性もそろい、良いアイデアがどんどん生まれてきました。参加者からも「街ってこうやって変わるんだ」「自分も関われるんだ」「関わるって楽しい」といった声がたくさん届きました。
昔は、住民が田んぼを一緒に耕したり、道の修繕をしたり、ルールを作ったり、自然とみんなで社会を作っていました。一般的には、民主主義≒投票というイメージがあるかもしれませんが、本当は、こういうことがまさに民主主義だと思っています。
栫井:
投票ももちろん大事な仕組みではありますが、住民がまちづくりに関わるというのは本当に大事ですね。関わっていく中で、意識や行動も変わっていくと思います。
藤代:
おっしゃる通りです。また先月には、職員たちと一緒に岩手県紫波町(オガールプロジェクトで有名な地域)への視察にも行きました。僕自身、四年連続で現地を訪れていますが、今回は「これから地域づくりに取り組みたい」と手を挙げた職員たちと共に参加しました。現地で実際の取り組みを肌で感じ、背景にある思いや仕組みを学び取ることで、みんな大きな刺激を受けていました。
現場に行き、体感することによって生まれる人との出逢いや関係性はとても重要です。もちろん行政として取り組みに対する成果は求められますが、それだけでは街は本当には良くならない。文書に書かれた目標以上の価値を生み出すには、人と人との関係性が欠かせないと感じています。
民間企業の方々と出会い、共に学ぶ場び合う場を、これからも積極的に作っていきたいと考えています。今はその一環として、印西市の職員を民間のまちづくりスクールに派遣する取り組みも始めています。民間の方々と交流しながら、成長し、未来を共に歩める仲間を見つけてもらえたらと願っています。
まだ道なき道だからこそ、一緒に踏み出せる。一人ではできない挑戦を、印西という可能性の地で。藤代氏は今、新たな仲間との出会いを心から望んでいる。
栫井:
非常に示唆に富んだお話をありがとうございました。未来に向けて、どのような方とより共創を進めていきたいか、教えていただいてもよろしいでしょうか。
藤代:
挑戦したいことは数多くありますが、まずはこのマニフェストで掲げた重点分野に注力し、多様な分野の皆さんとともに、世界のモデルとなるまちづくりに取り組んでいきたいと考えています。
詳細はぜひ中身をご覧いただきたいのですが、例えば、
などなどです。 もちろんこれ以外にも、想いをお持ちの方と共創していければと思います。


栫井:
本当に、様々な可能性がありますね!今後が楽しみです。 では最後に、この記事を読んでくださった方へ、メッセージをお願いできますか。
藤代:
いろいろお話してきましたが、すべては「これから」です。
さまざまな場で発信を続けていますが、正直なところ、まだ「これをやってきました」と胸を張れるほどの実績があるわけではありませんし、具体的なプロジェクトが次々と動いているわけでもありません。
けれど、逆にそれこそが今の印西にとっての強みだと感じています。これから、一緒にゼロから街をつくっていける――そんな可能性が、ここにはあります。
もちろん、生みの苦しみや、先が見えない不安もあります。先日実施したグリーンインフラのワークショップでも、最初は手探りの空気感がありました。でも、だからこそ、「みんなで未来をつくる」ことの醍醐味や楽しさを、心から味わうことができました。
印西市は、「攻めの行政」ができる数少ない自治体のひとつです。 まだ人口は増え続け、地方交付税の不交付団体という立場にあり、自主財源にも一定の余裕があります。東京にも成田空港にも近く、さらに成田空港は現在、年間発着回数を30万回から50万回へ拡張する大きなフェーズを迎えています。空港の機能強化・大規模拡張が進むなかで、印西市も新たな挑戦をゼロから始められる、絶好のタイミングにあるのです。
だからこそ、もしこの文章を読んで「一緒に何かをやってみたい」と感じてくださった方がいれば、ぜひお声がけいただきたい。 やる気としなやかさを持ち合わせた、ベンチャースピリットのある企業の皆さんと、これからの印西を一緒に育てていけたらと、心から願っています。この出会いをきっかけに、何かが動き出すかもしれません。
記事を読んで感じたこと、共に取り組んでみたいテーマなど、どんなことでも構いません。
ぜひ、藤代さんへ想いをお寄せください。
いただいた内容は、藤代様にお届けさせていただきます。

「統合」や「組み合わせ」の可能性を印西市長として最大化していく藤代さん。
ご自身が地元、印西への愛を持ちつつ世界を舞台にキャリアを築き、そして印西の地域の魅力と、世界への玄関口としての組み合わせ「グローカル」を進めていくことは運命のようにも感じました。
地域の未来も、行政も、産業や暮らしも、共感の輪が広がることで、幸せに繋がると信じられる。そんな素敵な未来の可能性を感じるインタビューであり、この記事を読んでいただいた全ての人に感じていただきたいと思います。
藤代さんへの感想のメッセージや、会いたい・共創のリクエストなど、ぜひ上記のフォームに入力をお願いします。(Publink Letterは、ご本人にお届け致します)
株式会社Publink 代表取締役社長CEO 栫井 誠一郎(インタビュアー)