経済産業省でキャリアを積み、国内外の経済・産業政策の最前線を歩んできた畑田氏。
今、彼が見据えるのは――宇宙。
誰でも宇宙へ旅行に行くことができる、宇宙を経由し世界中どこでも1時間で移動できる、宇宙空間にホテルや発電所を建てられる未来へ。
将来宇宙輸送システム株式会社の代表として彼が見据える未来は、日本でも新たに宇宙に関わるプレイヤーが増え、宇宙を日本の新しい基幹産業としていくこと。 そんな畑田氏が抱く原点の想い、描き出す未来図、今後共創したい先について、じっくりと伺いました。
画像:将来宇宙輸送システムが目指す世界
Publink代表として官民の想いをつなぎ続ける栫井(かこい)が、畑田氏の想いや行動を言語化し、まだ見ぬ未来の共創パートナーへ届けるーー。本記事は、そういった試みです。
「畑田さんと一緒に何かを起こしたい。」
未来の仲間たちへ、Publink Letterが想いをつなぎます。
(記事を読んだ後は、畑田氏への感想や共創の希望もお寄せいただけます)
畑田 康二郎(はただ こうじろう)
将来宇宙輸送システム株式会社代表取締役、株式会社ispace社外取締役、株式会社アークエッジ・スペース社外取締役。 2004年、京都大学大学院エネルギー科学研究科(修士課程)を修了後、経済産業省に入省。エネルギー政策や産業政策などに従事した後、 2012年、外務省に出向して、欧州連合日本政府代表部および在ベルギー日本国大使館勤務。 2015年、内閣府宇宙開発戦略推進事務局に出向し、宇宙活動法の制定、宇宙産業ビジョン2030の策定、宇宙ビジネスアイデアコンテストS-Boosterの創設など民間宇宙ビジネス拡大に貢献。 2017年、経済産業省に帰任し、新たなスタートアップ支援プログラムJ-Startupを創設。 2018年、経済産業省を退職して株式会社デジタルハーツホールディングスに入社し、サイバーセキュリティ人材発掘・育成プログラムの立ち上げ等に従事し、2019年に株式会社デジタルハーツプラスを設立。 2022年5月、将来宇宙輸送システム株式会社を創業し、代表取締役に就任。
INDEX
子どもの頃から、勉強も遊びも「攻略すること」に夢中だった畑田氏。 実家の自営業が景気に左右される様子を目の当たりにしたことがきっかけとなり、やがて関心は「経済や社会の攻略法を考えること」へと広がっていく。 その探究心が、経済産業省への道へと続いていた。
栫井:
子供時代の経験は、その人の生き方や価値観に大きな影響を与えると言われます。畑田さんはどんな子供時代を過ごされたのでしょうか?
畑田:
私は、兵庫県川西市という、大阪府との県境の街で生まれ育ちました。
子ども時代は宇宙には全く関わりがなく、昆虫やファミコンに夢中な子どもでした。昆虫やファミコンが好きな人には、コンプリートしたい、収集したい、分類したいといったタイプが多いかもしれませんが、僕はあまりそういう感じではなかったと思います。
それよりも、その中から自分なりの遊び方を見つけるのが好きでした。ゲームでも、普通にクリアするだけではなく、「縛りプレイ」のように一度クリアした後で“どのように別の楽しみ方をするか”を探るのが好きなタイプでした。
どんなことでも自分なりに楽しみ方を見つける――これは、今も変わらない自分の基本的なスタンスです。
画像:幼少期の畑田氏
小学校の5、6年くらいからは、勉強にも目覚めました。学校の勉強は、やらされているうちは苦痛に感じていたのですが、自分なりの攻略法を見つけるようになってからは、楽しめるようになったんです。テストでは数値として結果が出るので、まるでゲームのようにのめり込みました。勉強すると褒められますし、優等生と思われることも、ちょっとうれしかったんですよね。そんな風に、自分なりに楽しみ方を見つけながら、割と順調な学生生活を送っていたと思います。
画像:インタビュー中の様子
その後は京都大学工学部物理工学科のエネルギー変換科学専攻に進学しました。
未知なるものを解き明かす研究職にも関心があったのですが、一つの現象をひたすら掘り下げて解明することよりも、自分はもっと違う方法で社会に貢献したいと思いました。
というのも、将来のことを考えていた頃、ちょうど景気が悪くなりはじめていたんです。僕の実家はうどん屋で、中学生のころは土日になると「手伝いに来い」と言われてよく厨房に立っていました。当時はまだお客さんも多く、忙しかった記憶があります。でも、高校や大学に進む頃になると、まわりの大人たちが「景気が悪い」と言い出すようになってきました。
ただ、「景気が悪い」と言われても、それが何を意味するのか、当時の自分にはよくわからなかったんです。うどん屋というのは、わかりやすい商売です。うどんを作って出せば、お客さんからお金がもらえる。売れたら売れた分だけ、収入も増える。でも、街には夜遅くまで働くサラリーマンが大勢いて、毎月決まった日に給料がもらえるという、その仕組みが分からなかったんです。
そうして、経済や社会に対して関心を持つようになりました。
「経済や社会の攻略法を考えることが一番面白いのではないか」――そう思ったことが、経済産業省を志した理由です。
一個別の企業を成長させるよりも、日本経済全体を成長させることができれば、その影響ははるかに大きい。全体最適を考えたい自分にとって、それが何より魅力的に感じられたんです。
そして、その想いは今でも全く変わっていません。経済を成長させるためには、新しい産業を作らねばなりません。これまでは自動車やエレクトロニクスが日本の基幹産業でしたが、それもいつかは変わる可能性があります。次の基幹産業は何かというテーマを経産省で10年以上追ってきて、宇宙という産業にたどり着きました。
その中で、誰かに任せているだけでは無責任なので、「自分でもやろう!」と思い、起業しました。
栫井:
子どもの頃から、「面白い!」と感じたことに取り組んで、その中で自分なりの解き方を見つけるのが好きだったんですね。
畑田:
はい、そうですね。もう一つ、別のエピソードですが、私は、運動会はあまり楽しめなかったのですが、文化祭は大好きでした。 運動会はあらかじめゴールが決められていますが、文化祭は自分たちでゴールを設定し、何をやるかも自分たちで考えることができます。そこがとても楽しかったんです。
誰かに評価されるためではなく、自分たちで決めたことに取り組み、自分たちで満足感を得る。これが私にとっては最高のフォーマットでした。今もその感覚は変わっていません。
今までの人生については、語りきれない部分もあるので、もしよろしければ、ぜひ私のnoteも読んでいただけると嬉しいです。
https://note.com/hatakjr/n/n8c88d001d5d3
前例や常識に縛られないアプローチで、様々な施策を推進した経産省時代。ベルギーでの海外勤務時代には、未経験の通商政策であった日EUの経済連携協定の交渉入りにも貢献する。いかにして、難易度の高い課題の攻略法を見つけたのか。また様々な経験を通じて、得たものとはーー。
栫井:
子供の頃から一貫した攻略好きが経済産業省、そして起業へと繋がっていったのですね。まずは、経済産業省でのご経験について、詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。
畑田:
はい、経歴としては、このように部署を経験しました。
▼畑田氏の経産省での経歴
最初は資源エネルギー庁に、次に原子力安全・保安院の電力安全課(当時)に配属されました。この部署は、原子力以外の発電所、例えば風力や火力といった発電所の安全に関する制度を所管していました。
発電所の安全に関しては、点検の状況を国に報告する義務がありますが、私の在任中に、多くの電力会社において過去の報告内容に不正があったことが発覚しました。その中には、規制が過剰に厳格化されるあまり、実態としての安全管理とはかけ離れた部分も存在していました。
そこで私はベテラン職員と連携しながら、300件に及ぶ法令違反事例を、重要度と安全性への影響度に応じて16に分類し、違反内容の状況を可視化。その分析をもとに、より的確な行政指示を出す業務に取り組みました。こうした取り組みを通じて、ベテラン職員が多く在籍する中、入省3年目ながら周囲からの信頼を得ることができました。
続いて、リーマンショックの前後には経済産業政策局・産業再生課で、成長戦略の策定や企業の生産性向上のための法改正に取り組みながら、新規産業室も兼務し、エンジェル税制などのベンチャー育成に関する政策も担当しました。
その後、製造産業局の自動車課に異動しましたが、間もなく東日本大震災が発生しました。震災直後は原子力安全・保安院経験があったこともあり、発災から2日ほどで官邸のオペレーションセンターに入り、ひたすら対応業務にあたっていました。
その後、自動車課に復帰しましたが、震災の影響で自動車産業も深刻な打撃を受けていました。その中で、自動車産業の復興に向けた新たな戦略づくりにも取り組みました。
その後が、ベルギーへの派遣です。
ベルギーには、EUの執行機関である欧州委員会という、各加盟国の政府職員が集まる国際機関があります。日本政府はこの欧州委員会のカウンターパートとして欧州連合日本政府代表(EU代表部)を設置しており、私はその中でも、日本の経済産業省に相当する組織との調整を担当していました。
経済産業省の庁舎は、赤い色のエレベーターに乗る「国際系」と、青い色のエレベーターに乗る「国内産業系」に大きく分かれているのですが、私は元々、青いエレベーター側が長い人間でした。
EU代表部にはこれまで、通商分野に精通した、赤いエレベーター側の職員が派遣されるのが通例でした。しかし当時の通商戦略の責任者が、「同じバックグランドの人だけを派遣していてはダメだ」と考えたらしく、私が異例の形で配属されることになりました。
英語が得意というわけではなく、留学もしておらず、そもそも日本語であっても馴染みのない専門領域が多く、最初は大変苦労しました。 会議では、あらかじめ自分の伝えたい要点を英語で箇条書きにしたメモを用意して相手に渡し、「本日の発言内容を念の為メールで送ってほしい」という定型フレーズを覚えて、やりとりを補っていました。
慣れない環境の中での試行錯誤でしたが、新たな世界に飛び込み、自分なりに“解き方”を見つけていくプロセスは、今振り返ればとても充実した、楽しい経験だったと感じています。
当時、私が担当していたのは、まだ交渉入りしていなかった日EU経済連携協定(EPA)に関する業務でした。まずは「交渉入り」を実現させることが目標でしたが、正直なところ、当初はかなり難しいだろうと感じていました。
ドイツやフランスといった大国の担当者にアポイントを取り、話を聞こうとしましたが、なかなか有益な情報は得られませんでした。一方で、EUは加盟27カ国すべてに平等に情報が提供されるため、比較的小さな国の外交官たちに日本食をご馳走しながら話をするうちに、先週の貿易会合で日本の話題が出た、といった情報を教えてくれることもありました。
そうして得た情報を、さりげなく大国側に振ることで、「彼は何か知っているらしい」と意識させ、対話する関係性を構築していく、という形で徐々に手がかりを広げていきました。 あわせて、現地のロビイストや弁護士といった関係者からも話を聞き、情報収集に努めました。
私が赴任して1年後に交渉入りが実現したのですが、私が得た情報は少しは役立ったのではないかと思うと、とてもやりがいのある仕事でした。交渉入りとなると、毎月のように霞ヶ関から出張者が来ますので、色々な方と連携して仕事を行うことができ、視野が広がりました。
出張者対応といえば、外務省の世界では、海外赴任中に皇室・総理・外務大臣の出張対応をコンプリートすることを「グランドスラム」というらしいのですが、私はこれに加えて経産大臣と経団連会長まで対応して、出張者のおもてなし力、いわゆる「出張ロジ」を極めることができました。偉い要人をケアするのは当然のことであり全員の意識が向いていますが、私自身が国際的な仕事に慣れていない新参者だったこともあり、お付きで来ている若手の気持ちが痛いほどよくわかるので、彼らも出張を通じて良い経験を積めるように丁寧なケアを心がけました。
栫井:
それは本当に見事な動きですね。
未経験だったからこそ、既存のやり方にとらわれず、ある種“裏技”のようなアプローチで道を切り拓かれたのですね。
畑田:
そうかもしれません。
そして、欧州委員会での経験は、非常に学びの深いものでした。
国家は基本的に、遥か昔からそこにあり、自然に運営され続けてきた側面がありますが、欧州委員会は違います。まさにゼロから人間の知性を結集して、意図を持って作られた組織です。
そこに集う人々は、常に「どんな目的で、どんなルールをつくるか」を考え続けてきた人たちで、その知性の高さに、刺激を受けました。
画像:EU代表部時代の画像
栫井:
ヨーロッパはルール形成に長けていて、日本はその点で後れを取っていると言われることがよくあります。実際に現地でご覧になって、そうした印象を持たれる場面はありましたか。
畑田:
圧倒的に違いを感じました。 彼らは常に長期的な視点で物事を進めているのです。たとえば、欧州委員会や欧州議会では、1年単位のスケジュールをあらかじめ策定し、それに沿って動きます。
いわゆるロビイストと呼ばれる人たちも大きな流れを理解しながら、それを捻じ曲げるのではなく、あるべきルールメイキングの理想と業界が目指している方向を一致させていきながら、その中で巧妙に勝てる戦略を練っています。
もちろん、完璧とは言えない部分もあるとは思いますが、それでも彼らの知性や合理的な進め方には、非常に感銘を受けました。
栫井:
そうなのですね。ありがとうございます。
ベルギーの次が宇宙でしたよね。宇宙戦略室はいつ頃立ち上がったのでしょうか。
畑田:
2008年に宇宙基本法ができ、そのタイミングで内閣府の宇宙戦略室ができていましたが、私自身はその頃はあまり認識していませんでした。ちなみに私の在任中に、宇宙開発戦略推進事務局という名前に変わりました。
私は2015年に着任し、「人工衛星等の打上げ及び人工衛星の管理に関する法律(平成28 年法律第76 号)(宇宙活動法)」と「衛星リモートセンシング記録の適正な取扱の確保に関する法律」(平成28 年法律第77号)(衛星リモセン法)」、いわゆる宇宙二法という法律の策定に携わりました。
私は法案の担当として着任したわけではなく、総括班長として宇宙政策委員会の運営などを通じて宇宙基本計画を改訂していくという全体戦略がミッションでした。法案については、着任時に「ほぼできているから君がやる仕事はないよ」と言われていたのにも関わらず、実際には蓋を開けるとまだ法案そのものが全くできていない状況でした。普通は8月頃から始める仕事が12月時点でまだできていない、という状況から巻き返して、3月には法案の閣議決定まで持ち込むことができました。ちなみに通常、法律を作るときは「タコ部屋」と呼ばれる専属の部署で作業に専念できるのですが、私は総括班長の業務の掛け持ちで法律の条文を書いていました。文字通り、寝る暇もない生活でした。
そんな苦労を経て法案を作ったわけですが、それだけで民間宇宙ビジネスが自動的に広がるわけではないので、次に取り組んだのは、民間の宇宙活動を活性化させることでした。まずは宇宙ベンチャーに会おうと次々にアポイントを取り、紹介を頼んでわらしべ長者のように広げていきました。 しかし、十数社ほど出会ったところで、ほぼ全て網羅してしまいました。産業規模の小ささを目の当たりにし、「これでは到底足りない。もっと数を増やさなければ」と強く思いました。
そうした問題意識から、宇宙ビジネスアイデアコンテストの開催を企画することにしました。ただ、これも私一人の発案というわけではありません。 当時JAXA内部でも、若手職員たちが「ビジネスコンテストのような取り組みをやりたい」と模索していました。しかし、当時の幹部に「私たちは研究開発法人だ」と一蹴され、意欲をくじかれていた状況だったのです。
彼らと話をする中で、「こういう形なら実現できるかもしれない」という構想を練り上げ、最終的にはJAXAではなく内閣府側で実施することにしました。 内閣府での立ち上げにも多くのハードルがありましたが、賛同する企業の方々や、JAXAのメンバーと企画を進めていきました。こうして立ち上げたのが、「S-Booster」という宇宙ビジネスアイデアコンテストです。
裾野を広げるために、とにかくアイデアを出したら賞金がもらえるかも!?とい幅広く募集をかけつつ、芽がありそうなアイデアに対して数ヶ月のメンタリングプロセスを通じて実現性を高めていき、最終選考会のピッチイベントではしっかりとした内容に洗練させていき、宇宙ビジネスの将来性を感じてもらえる場にする、というプロセスを重視しました。結果として、これまでこのコンテストを通じて数多くの宇宙ベンチャーを生み出すことができています。
画像:S-Boosterのコンテスト
栫井:
そうだったのですね!そして、その後、また経済産業省に戻られたと。
畑田:
はい。最後の1年では、J-Startupやリスクマネー研究会、ESG投資に関する取り組みに携わりました。サステナビリティを重視する企業向けに、専用のロゴマークを制作したり、会計基準にサステナビリティ要素を組み込むといった施策にも取り組みました。
J-startup:https://www.j-startup.go.jp/
「J-Startup」は、当時、若手で中心となって考えた施策でした。伝統的な政策ツールとは異なるアプローチを目指していましたが、さまざまな壁に阻まれながらも諦めずに動き続けた結果、政策として実現することができました。
経済産業省は非常に楽しい職場だったのですが、私よりも優秀な人材が沢山集まっていて「逆に多様性がないな」と感じるようになり、私自身は別の場で価値を発揮した方が社会全体のためになるのではと考えるようになりました。また、組織の人事異動で「ここに行ってアレをやれ」と指示されて働くのは、右も左も分からない若手の頃は視野が広がっていいのですが、そろそろ、自分のミッションは自分で定めるべき時期だなとも感じていました。
そこで、そろそろ経済産業省を卒業して、民間の世界に飛び込むことを決意しました。
きっかけの一つは、2006年頃、ベンチャー担当係長として「新経済成長戦略」策定に取り組んでいた時期のことです。100社以上のベンチャー企業を訪問した中で、当時はまだ上場前のデジタルハーツにも出会い、創業者である宮澤さんの熱量に強く惹かれました。それ以来、宮澤さんとは長くご縁が続いていました。
そんな中、ファーストリテイリングやロッテなどの経営に携わり「プロ経営者」として知られる玉塚元一さんがデジタルハーツに参画され、第2創業フェーズを迎えるタイミングでした。宮澤さんに誘われ、玉塚さんと3人で食事をご一緒した際に、「畑田くん、今いくつ?」と聞かれ、39歳と答えると、「オレがユニクロの社長を任された時と同い年か!畑ちゃんも、勝負をかけるなら今やね」と言われました。
この人たちと一緒に働くのは楽しそうだなと思い、デジタルハーツに転職しました。
デジタルハーツでは最初、営業の部署に配属してもらい、途中からは営業も兼務しながらCEO室長として自由に働きました。それから4年間、サイバーセキュリティ人材育成事業に取り組ませてもらいました。
4年を経て第2創業フェーズから発展期へと会社のフェーズが変わり、玉塚さんも退任になりました。私自身、このまま関わり続けるのか、どうしようかと考えている中で、宇宙産業を新たな基幹産業に成長させるという仕事に再び関わるご縁があり、2022年に将来宇宙輸送システム株式会社 を創業しました。
難しいことこそ燃える。現在、畑田氏が人生を捧げているのは、宇宙輸送というフロンティアだ。その可能性と、現在までの旅路について伺った。
栫井:
どのような想いで、将来宇宙輸送システムを立ち上げられたのでしょうか。
畑田:
おかげさまで「S-Booster」などの取り組みもあり、これまでに100社を超える宇宙関連ベンチャーが立ち上がりました。大企業が宇宙領域に参入するケースも徐々に増えてきています。
一方で、ロケットに関しては、依然としてプレイヤーの数はあまり増えていません。やはり純粋な民間資本だけで取り組むのは非常に難しく、自然な形で次々に生まれてくる分野ではないと感じていました。
私自身も「ロケットは大変すぎるので、やめた方がよいのではないか」と思っていたほどです。しかし、インキュベイトファンドの赤浦さんから「日本で宇宙輸送を担わなければならない」と強く促され、最初は「理解はしますが、無理だと思います」とお答えしていました。
それでも、「無理そうだからやらない」というのは、やはり格好悪い。そう感じ、自分なりに解き方を考えてみようと取り組み始めたのです。試行錯誤を重ねるうちに、いつの間にかここまで進んできた――そんな経緯でした。
私たちが目指しているのは、日本国内にある技術を最大限に活用し、高頻度・単段式・往還型の宇宙輸送機を開発することです。高い信頼性を維持しながら輸送コストを大幅に削減し、大陸間や宇宙空間へ人や物を自在に輸送できる未来を実現したいと考えています。
具体的には、宇宙を経由することで世界中のどこでも1時間で行けるようになったり、より多くの人が宇宙に旅行に行けるようになったり、安価かつ高頻度に資材を提供することでホテルや太陽光等の発電所等の巨大構造物の建設ができるようになったりする未来です。
現在、航空機産業の市場規模は世界で約150兆円に達しています。
このうち1割が宇宙輸送に置き換わると仮定すれば、約15兆円規模の新たなマーケットが生まれる可能性があると考えています。
今はまだゼロの市場ですが、これから十数年のうちに、必ず誰かがこの市場を切り拓くでしょう。欧米勢ももちろんですが、アジア圏で日本がそのポジションを切り拓くことができれば、数兆円規模のマーケットを日本が手にする可能性もあります。
「宇宙に行くよりも、まず地上で困っている人々を支援すべきではないか」という声もよく耳にします。もちろん、その考えにも一理あると思っています。しかし私は、バランスが重要だと考えています。
いま現在の福祉だけに国の資源をすべて投入してしまえば、未来の世代に何も残らなくなります。私たちは今、化石燃料や豊かな地球資源の恩恵を受けていますが、100年後、200年後はそうではないかもしれません。資源が枯渇し、地球が立ち行かなくなったときに、もし宇宙資源にアクセスする手段を持っていなかったら、未来の人たちは私たちの無策を恨むことになるでしょう。
今、JAXAや各研究機関が積み重ねてきた技術と経験を、次の世代に受け継ぎ、広げていく。
宇宙太陽光発電のようなエネルギー問題の解決や、遠い宇宙資源の獲得に向けた基盤をつくる。
それが、未来世代への責任だと私は思っています。
「ありがとう、畑田さんたちが宇宙開発を続けてくれたおかげで、私たちは新しい資源にアクセスできる」ーー。そんなふうに、100年後の人々に言ってもらえる未来をつくることこそ、本当の意味でのSDGsではないでしょうか。
栫井:
おっしゃる通りですね。私も、国や社会の発展には、産業の発展が必須だと思っています。壮大な目標に向かって、実際どのように進めていらっしゃるのでしょうか。
畑田:
実は、創業当初は本当に何も見えていませんでした。 オフィスもなく、パートナーもいない。完全に見切り発車でスタートしたのです。
いくつかの大企業にアポイントを取り、「会社を立ち上げたのですが、何か一緒にできないでしょうか」と相談に行きましたが、当然ながら「無理でしょう」とあっさり断られたこともあります。
そんな中、IHIエアロスペース取締役の永山さんという方と出会いました。とても素晴らしい方で、「独りでは大変でしょう。経験がある人に助けてもらった方がいいよ。」と、IHIのベテランの方を紹介していただき、まずは出向で関わっていただけることになりました。
そうして高橋さんというロケットプロジェクトの豊富な経験を持つ技術者にジョインいただきました。また、大学の先生の紹介など、ひとりひとり口説きながら仲間を増やしていきました。
その後、JAXAによる民間支援の強化や、SBIR制度(スタートアップ等による研究開発を促進し、その成果を円滑に社会実装し、それによって我が国のイノベーション創出を促進するための制度)といった新たな制度が生まれており、我々もその制度を活用しながら、事業に取り組んでいます。
2040年代に単段式のスペースプレーンによって、誰もが宇宙に行ける未来を実現するという目標があるのですが、まずは、再使用が可能な小型衛星打ち上げ用のロケットを開発するところからスタートしています。
画像:開発中のロケット
この検討のベースとなっているのは、JAXA宇宙科学研究所(ISAS)で副所長を務められた稲谷芳文先生の研究です。稲谷先生は長年にわたり再使用型ロケットの研究を続けていた方であり、今は宇宙旅客輸送推進協議会(SLA)の代表理事を務めています。 Amazonの創業者であるジェフ・ベゾス氏が立ち上げたBlue Originというロケット開発企業が再使用型ロケットに関する国際特許を出願した際も、ISASの論文が存在していたため特許取得が認められなかったというエピソードもあります。それほど先見の明のある研究でしたが、当時は研究開発法人という立場上、事業化には至りませんでした。
私たちは、稲谷先生が成し得なかった夢を引き継ぎ、新たな宇宙輸送の未来を切り拓こうとしています。
栫井:
そうだったのですね。「再使用型ロケット」について、もう少し詳しく聞かせていただけますか。
畑田:
再使用型ロケットの最大の利点は、繰り返し飛行できる点にあります。 使い捨て型ロケットでは、海に落下してしまうため、飛行中のデータ取得が限られ、基本的には「飛んだら成功」という感覚にとどまりがちです。しかし、再使用型であれば、飛行ごとにデータ収集が可能となり、シミュレーションの精度を飛躍的に高めることができます。
我々は、デジタルプラットフォームを活用し、少ない試験回数でより多くの成果を得るアプローチを目指しています。すでに自動車産業や航空機産業ではこの考え方が定着しており、宇宙分野もそうあるべきだと思っています。
自社でP4SD(Platform for Space Development)という、開発に関わるすべての過程をデータ化し、クラウド上に集約させた研究・開発プラットフォームの開発を行っています。研究や設計はもちろん、試験結果もデータ化し、集約することで、その後の分析や改善など、開発に関わる全てを一元管理することができます。
このような開発における基盤を多くの事業者に提供し、宇宙産業産業全体を発展させていきたいと考えています。
画像:P4SDの概要
一方で、ハードウェア開発はベンチャー単独で完結できる領域ではないため、さまざまな企業とのパートナーシップを進めています。 たとえば、荏原製作所とロケット用ポンプの共同開発に取り組むなど、自社で不足している技術を補い合う体制を築いてきました。
また、海外の企業とも積極的に連携を進めています。例えば、Ursa Major Technologiesというアメリカのロケットエンジン専業ベンチャーとの提携です。Ursa Majorは、スペースXでエンジン開発を手掛けたメンバーが独立して立ち上げた会社です。
彼らは「航空機産業におけるロールス・ルイスのように、エンジン専業の会社が宇宙産業でも重要な役割を担うはずだ」という信念のもとに事業を推進しています。 ただ、安全保障上の規制により日本へのエンジン輸出はできず、私たちがアメリカに赴き、現地で試験を行うという形で進めています。
彼らが最初に来日した際には、さまざまな組織を訪問したそうですが、たくさんの出席者がいて、沢山質問がでたのに、その後の具体的な動きはなかなか進まなかったようでした。
私たちは、その場でNDA(秘密保持契約)を締結して具体的な議論を深め、翌月には彼らのラボを訪問し、さらに翌月にはエンジンの購入に関する基本合意をまとめて米国に法人も設立しました。「ここまで即断即決で動いた日本人は初めてだ」と、非常に高く評価してもらえたことを覚えています。
画像:Ursa Majorとの連携協定
3Dプリンター技術の活用についても、グローバルに展開を進めています。 現在、世界では3Dプリンターによるロケット部品製造が急速に進んでいますが、日本では基幹ロケット開発においても一部採用されていますが、設計レベルで組み込んでいないため活用が限定的です。
特にイギリスでは大学発ベンチャーを中心にこの分野が急成長しており、私たちもイギリスのクランフィールド大学と連携し、3Dプリンターによるタンク製造などに取り組んでいます。
宇宙産業を日本の基幹産業にするという壮大な目標に向かって、必要なこと、そして畑田氏が求める仲間とは。
栫井:
すでに様々な動きをされていらっしゃいますが、今後の課題や注力されたいことについても、教えていただけますでしょうか。
畑田:
私が最も重要だと考えているのは、国際関係、特に米国との関係です。 宇宙開発の分野では、アメリカが圧倒的な先進国であり、引き続き大きな影響力を持っています。だからこそ、アメリカと良好な関係を築き、共にプロジェクトを進めていくことが極めて重要だと考えています。
また、私がEUに赴任していた際にも感じたのですが、アメリカとヨーロッパが連携する際に、日本が加わると、各国の間を取り持ち、対話を円滑に進める役割を果たす場面が多くありました。宇宙分野においても、日本が各国を繋ぐハブになり、宇宙の平和利用を推進していきたいと思います。
栫井:
宇宙分野においては、国際的な連携は必須ですね。まさに、欧州委員会でのご経験が活きてくる分野だと思います。具体的に、連携を強めていきたい共創先はございますか。
畑田:
私は、結局は熱意のある個人からしか始まらないと思っておりまして、情熱ある人がいらっしゃるのであれば、その人とやれることを考えていきたいと思っています。
地方自治体から、宇宙を活用した地域活性化の相談も多くいただくのですが、たとえば南相馬市では、地元の方々の熱意が非常に強く、市長も「他の自治体ができることなら、私たちにもできるはずだ」と力強く後押ししてくれています。
また、旭化成との包括連携協定も、現場のボトムアップによる動きから生まれたものでした。化薬事業部のメンバーが「宇宙に挑戦したい」と声を上げ、私たちとともにロケットエンジンの燃焼試験を進め、役員層に働きかけたことで実現しました。
こうした動きに共通しているのは、「自ら動き、未来を切り拓こうとする内発的な意志」です。単に「宇宙は儲かりそうだから」と期待して集まるのではなく、自ら走り出せる人たちこそ、心強いパートナーだと感じています。
また、自分たちの事業を活性化させるために宇宙を活用する、そんな自由な発想もあって良いと思います。 たとえば、クルーズ船の上からロケット観光をする、打ち上げイベントに合わせた飲食店を開く、オリジナルTシャツを販売する。そんな広がりを持たせることで、宇宙産業のすそ野はもっと広がっていくはずです。
現在、日本の宇宙産業に従事しているのはまだ約8,000人。一方、自動車産業では、タクシーの運転手やガソリンスタンドのスタッフ等も含めて、600万人以上が間接的に関わっています。宇宙も、もっと多様な関わり方があっていいと思います。
栫井:
確かに、「宇宙」というととても遠い世界のように感じるのですが、もっと広い捉え方もできますね。まさに、世界全体で、宇宙に関する文化祭をやっていくような感じですね。
そういえば、以前、種子島宇宙センターで大型ロケット組立棟を見たのですが、そのスケールに感動したのを覚えています。
畑田:
はい。ロケットの打ち上げがなくても、人を惹きつける力を感じますよね。宇宙開発のことを難しく考えすぎず、もっと自由に宇宙を使ってほしいと思っています。
例えば種子島も、打ち上げイベント時には宿泊施設が足りず野宿する人もいますが、民間がトレーラーハウスを持ち込むなどすれば、もっと面白い取り組みができるはずです。 国の研究施設だけでは実現できない、民間ならではの新しい宇宙の楽しみ方や産業化に、もっと挑戦していきたいと考えています。
最後に宣伝です。当社では一緒に働く仲間や事業パートナーを積極的に募集しています。ピンと来た方は、ぜひ以下のウェブサイトからご連絡ください。
採用ページはコチラ
https://hrmos.co/pages/innovative-space-carrier/jobs
事業連携などのご相談はコチラ
https://innovative-space-carrier.co.jp/contact/
加えて、当社では宇宙旅行の「先行申込」を受け付けています。すでに数千人の方に登録して頂いており、登録者向けのSpace Letterでは、抽選でグッズがもらえる機会などがありますので、宇宙旅行に関心がある方は、以下のリンクよりお申し込みください。
https://forms.gle/TDc8HpdcR2zCU41t9
この出会いをきっかけに、何かが動き出すかもしれません。
記事を読んで感じたこと、共に取り組んでみたいテーマなど、どんなことでも構いません。
ぜひ、畑田さんへ想いをお寄せください。
いただいた内容は、畑田様にお届けさせていただきます。
経産省の1つ先輩でもある畑田さんは、行政組織の中でも、ハードな仕事であろうとも常に面白く進め、面白く語る人でした。その彼のマインドと行動力は今、宇宙産業を日本で、世界で広げる挑戦へと繋がっています。
面白い人、熱い人とは社外でもどんどん繋がり、どんどん仕掛けていく、そんな文化祭実行委員長のような彼のキャラクターに意気投合し、宇宙分野で仕掛けていきたい方は、省庁、自治体、企業問わず、また宇宙分野で既に行動している・新規でこれから行動したいを問わず、ぜひメッセージをお寄せ下さい。
畑田さんへの感想のメッセージや、会いたい・共創のリクエストなど、ぜひ上記のフォームに入力をお願いします。(Publink Letterは、ご本人にお届け致します)
株式会社Publink 代表取締役社長CEO 栫井 誠一郎(インタビュアー)